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大阪高等裁判所 昭和27年(ネ)433号 判決

控訴人 土永ふじゑ

被控訴人 土永勝雄

主文

本件控訴を棄却する。

控訴人の所有権確認の請求を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は原判決を取消す別紙〈省略〉第一物件目録記載の動産及び別紙第二物件目録記載の不動産並びに動産が控訴人の所有なることを確認する被控訴人と不在者土永丹治の財産管理人なる控訴人間の京都家庭裁判所福知山支部昭和二四年(家イ)第五四号財産確認調停事件の調停は全部無効なることを確認する被控訴人は控訴人に対し別紙第一物件目録記載の動産及び第二物件目録記載第一の(一)の不動産を返還すべし訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする旨の判決を求め被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は控訴代理人において一、本件京都家庭裁判所福知山支部昭和二四年(家イ)第五四号財産確認調停事件につき昭和二十五年六月八日申立人被控訴人相手方不在者土永丹治財産管理人なる控訴人間に成立した調停の内容は(一)当事者双方は亡父土永重之助の財産につき左の通り協議分割することとし申立人の所有に帰属する不動産及び動産は原判決末尾添付第二物件目録記載の通りとし相手方の所有に帰属する不動産及び原判決末尾添付第二物件目録(但し福知山市字堀小字今宮二千三百五十七番地一田一反二十五歩の内四畝歩とあるは福知山市字堀小字今宮二千三百五十六番地一田一反二十五歩の内田四畝歩の誤記につき訂正する)記載の通りとする(一)相手方の所有に帰属する家屋にして申立人の現住する家屋福知山市字堀二千三百五十七番地上に建設の家屋番号第五五七番木造藁葺平屋建建坪三十二坪九合は昭和二十七年五月十日限り申立人において無条件にて相手方に引渡すこと、(但し木造瓦葺二階建土蔵建坪四坪木造瓦葺二階建納屋建坪八坪を除く)(一)申立人は現在申立人の耕作に係る田畑にして相手方の所有に帰属する物件は昭和二十六年度麦作収穫後直ちに相手方に引渡すこと、(一)申立人現在の宅地内に在る桐木大三本は今後二ケ年内に申立人において伐採しその他の樹木は一切現状の侭とし相手方に引渡すこと、(一)相手方の所有に帰属する不動産にして相手方が将来若し他に譲渡する際には申立人に相談の上譲渡すること、(一)当事者双方は爾後本件に関し本調停条項以外に何等の要求をしないこと、(一)調停費用は各自弁のことなる旨の調停条項であつた。二、仮りに亡土永丹治において被控訴人が先代土永重之助の全財産を承継することを承諾した事実があり、被控訴人が重之助死亡前にその全財産の贈与を受けた事実があつたとするも、原判決末尾添付第一物件目録記載の不動産中重之助の死亡前に被控訴人にその所有権移転登記がなされた不動産以外の不動産については、民法第百七十七条の規定によりその贈与による所有権取得を対抗し得ずして全部重之助の死亡により丹治がその相続によりこれを承継取得し丹治より重春を経て控訴人が順次相続によりこれを承継所有するに至つたものである。三、(1) 別紙第一物件目録記載の動産は原判決末尾添付第一物件目録記載の動産、の内紙張障子八本世帯道具一切並びに柿木を除いたその余のものであつて被控訴人方に在るものであり、(2) 別紙第二物件目録記載第一の(一)の不動産四筆は原判決末尾添付第一物件目録記載の不動産中すでに被控訴人の所有権移転登記のなされている土地五筆を除いた土地四筆につき耕地整理等のためその地番地積が変更せられたので訂正したものであり、(3) 別紙第二物件目録記載第一の(二)の不動産四筆は原判決末尾添付第二物件目録記載の不動産中土地二筆を除いた四筆の土地家屋につき耕地整理等のためその地番地積が変更せられたので訂正したものであり、(4) 別紙第二物件目録記載第二の動産は原判決末尾添付第二物件目録記載の動産の内柿の木を除いたその余のものと同一のものであつて、控訴人方に在るものであるが当審においては請求を変更して本件調停の無効確認、並びに別紙第一物件目録記載の動産及び別紙第二物件目録記載第一の(一)の不動産の返還を求める外、別紙第一物件目録記載の動産及び別紙第二物件目録記載の不動産並びに動産が控訴人の所有なることの確認を求めると述べ、被控訴代理人において、一、本件調停の内容が控訴代理人主張の通りであることを認める。しかして控訴代理人の請求の変更に同意し別紙第一及び第二物件目録記載の動産並びに不動産と原判決末尾添付第一及び第二物件目録記載の動産並びに不動産との関係が控訴代理人主張の通りであることは認める。二、本件調停に当つては控訴人は不在者土永丹治の財産管理人として元土永重之助の所有していた財産は全部同人の死亡によりその家督相続人である丹治の所有に帰したものであると主張し、その財産の所有権の所在につき被控訴人と互に相争うた結果、調停委員会においては既に重之助から被控訴人に所有権移転登記の完了していた不動産をも含めて元重之助の所有していた財産全部を二分してその一部を被控訴人の所有とし他の一部を丹治(従つてその相続人)の所有とする調停案を立し、当事者双方も同委員会の熱心な説示に服し互に譲歩協調して遂に本件調停が成立するに至つたものであつて、右調停の結果元重之助の所有していた財産はそれぞれ当事者の一方に帰属するに至つたのである。しかして調停も亦一種の和解に他ならないから重之助が元所有していた財産が右調停によりそれぞれ当事者一方の所有と認められた以上、その以前においてその物の所有権が当事者のいづれに属していたかは最早問題とするに足らず、従つて右調停の成立後なる今日においては重之助の生前に被控訴人が何人からどれだけの財産を譲受けていたか丹治が重之助の家督相続によりどれだけの財産を取得したかは最早これを論ずる価値に乏しい。しかして本件調停成立当時控訴人は丹治死亡の事実を知つていたのであるから、これを理由として本件調停の無効を主張することはできない。三、被控訴人は別紙第二物件目録記載第一の(二)の不動産並びに第二の動産が控訴人の所有に属することは争わないところであつて、右はいづれも控訴人が本訴においてその無効を主張する調停の結果控訴人の所有となつたものであつて、被控訴人は右調停成立以来右不動産並びに動産が控訴人の所有に属することを争つたことはない。従つて右物件の所有権確認を求める部分は争のない権利関係の確認を求めるものであるから不適法である。

と述べた外原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

〈立証省略〉

理由

控訴人の亡夫土永丹治が訴外亡土永重之助の長男であつて被控訴人が右重之助の次男であること、右重之助が昭和十八年二月二日死亡し土永丹治がその家督相続をなしたが同人が昭和二十年十二月二十八日死亡し、その次男亡土永重春がその家督相続をなし、更に右重春が昭和二十四年七月十日直系卑族並びに配偶者なくして死亡し、控訴人が直系尊族としてその相続をなしたこと、土永丹治が大正十五年に京都府巡査となりその後累進して警部となり昭和十二年京都府宇治警察署長となつたが、昭和十三年三月満洲国官吏となつて同国に赴き同国治安部警察部等の職を歴任し、吟爾浜警察部司法科長在職中昭和二十年八月終戦となりソ聯国に連行せられ、同年十二月二十八日ソ聯領シベリヤ本線マリンス駅の病院車内で死亡したが、昭和二十五年六月頃迄その生死が不明の状態であつたこと並びに控訴人が昭和二十四年十二月二十一日京都家庭裁判所福知山支部で不在者土永丹治の財産管理人に選任せられたが、被控訴人は同年同月二十七日同支部に不在者土永丹治の財産管理人である控訴人を相手方として財産確認調停の申立をなし(京都家庭裁判所福知山支部昭和二四年(家イ)第五四号財産確認調停事件)右事件において両者間に昭和二十五年六月八日控訴代理人主張の如き内容の調停が成立したことは当事者間に争のないところである。

よつて先づ控訴代理人の右調停無効の主張の当否につき判断する成立に争のない甲第一号乃至第四号証第六号証の一乃至五、乙第一、二号証原審証人芦田藤吉、同川口正夫、同古口才吉、同土井タミ、同奥田久作、同奥田佐治兵衛の各証言同証人土永慶三郎の証言の一部原審並びに当審における被控訴人の供述及び同控訴人の供述の一部を綜合すると、右土永重之助は控訴人の肩書住居に居住し農を業とし同人所有の原判決末尾添付第一、第二物件目録記載の田畑を耕作していたものであるところ土永丹治はその長男であつたが、父重之助の許にあつて農業に従事することを好まず病気のため中学校を中止退学したが現役兵を満期除隊後警察官として身を立てようと決意し、前記の如く大正十五年頃郷里を出て京都府巡査となり、その後苦学力行して順次累進して前記の如き職を歴任し、最後にソ聯国で死亡するに至つたものであつて、昭和七年控訴人と婚姻しその間に子女五人を儲けたが丹治や控訴人は時に帰郷する外重之助や被控訴人と郷里にあつて同居したことはなかつたこと、右の次第で丹治は郷里に帰つて農に従事する意思なく弟の被控訴人に対し老父重之助を託し郷里にあつて重之助の農の継承することを依頼していたのであること、被控訴人は右の如き事情からして小学校卒業後昭和十三年出征して一時郷里を離れていた外、終始郷里にあつて肩書控訴人居宅に父重之助と共に居住し、家業の農を継承して重之助の所有していた前記田畑を耕作してきたもので、昭和十一年キヨを妻に迎えてからは事実上一家の主宰者として老父を守り親族との交際、祖先の祭祀をなし、右田畑を耕作して一家の生計を立てるに至り、父重之助の死亡前なる昭和十八年一月十八日原判決末尾添付第一物件目録記載の不動産中五筆の不動産につき重之助から被控訴人に対し贈与による所有権移転登記がなされたこと、ところが予期しなかつた敗戦の結果、丹治は満洲国で抑留せられ同人と共に同地にあつた控訴人等母子六人は昭和二十一年九月満洲国から引揚げて来て同年十月頃から控訴人の肩書住居なる当時の被控訴人の居宅に同居し、その世話を受けていたが円満を欠くに至つた。そこで控訴人は重之助の所有していた財産は全部丹治がその家督相続により承継取得したものであると主張し、前記の如く丹治が昭和二十年十二月十八日死亡したことは後に判明したが、昭和二十五年六月頃迄その死亡の確認が得られなかつたので控訴人は丹治を不在者として昭和二十四年十二月二十一日京都家庭裁判所福知山支部に不在者丹治の財産管理人選任の申立をなし、前記の如く同日同裁判所において控訴人を不在者丹治の財産管理人に選任したところ、控訴人は丹治の財産管理人として被控訴人に対し重之助の所有していた全財産は同人の死亡により、その家督を相続した丹治が承継取得したものとして被控訴人の居住家屋やその畳建具その他の動産並びに同人の耕作していた田畑等の引渡を請求したので、被控訴人は不在者丹治の財産管理人である控訴人を相手方として前記の如く同家庭裁判所に財産確認調停の申立をなすに至つたものであること、しかして右調停に当つては控訴人は不在者丹治の財産管理人として元重之助所有の財産は同人の死亡により全部その家督相続人である丹治の所有に帰したものであると主張し、被控訴人は重之助の生前同人からその財産全部の贈与を受け自己の所有に属する旨主張し、双方互に自説を固持して譲らなかつたが調停委員会においては被控訴人が前記の如く終始郷里にあつて元重之助の所有財産につき、従来これを占有使用してきた事実に丹治の生死不明並びに控訴人等母子の引揚の事実等双方における諸般の事情を勘案した上、既に重之助から被控訴人に所有権移転登記のなされていた不動産をも含めて元重之助の所有財産全部を個々につき評価した上これを丹治に四分、被控訴人に六分の割合で分割するのが妥当であると認めて右趣旨に則り、調停案を立て調停を試みた結果控訴人並びに被控訴人は互に譲歩をなして遂に前記調停が成立するに至つたものである事実並びに控訴人からの丹治が昭和二十年十二月二十八日ソ聯領シベリヤ本線マリンス駅病院車内で死亡した旨の丹治死亡の届出が受理せられ、丹治死亡の事実が確定したのは昭和二十五年六月十三日であつたが、右調停進行中既に丹治の死亡確認書が控訴人の許に届けられていたもので右調停成立当時控訴人は丹治死亡の事実を予見していた事実を認めることができる。右認定に反する前記証人土永慶三郎の証言部分並びに前記控訴人の供述部分は措信しないところで、控訴代理人は(一)本調停成立当時丹治は既に死亡していたもので亡重之助所有の財産は丹治、重春を経て控訴人が相続により承継所有するに至つたものであるから、かかる財産につき丹治と被控訴人間に分割を協議すること自体法律上も事実上も不能であり、又丹治にかような資格はないから右調停は当然無効である。(二)仮りに然らずとするも控訴人は本件調停において不在者丹治の財産を処分するにつき家庭裁判所の許可を得ていないので、右調停は無効である旨主張し、前認定の如く右調停成立後に丹治死亡の事実並びにその死亡の日時が確認せられ、従つて右調停成立当時丹治は既に死亡し権利の主体たり得なかつたものであることは明らかであるが、家庭裁判所から選任せられた不在者の財産管理人の資格権限は、本人死亡の事実により当然消滅するものではなく、利害関係人の申立により家庭裁判所がその選任を取消さない限りはその権限を失うものでないことは家事審判規則第三十七条により明らかであるところ成立に争のない乙第四号証によれば、右調停成立当時前記家庭裁判所が控訴人に対し不在者丹治の財産管理人の選任を取消した事実なく、その後同年七月十日控訴人から不在者財産管理人終了届を同家庭裁判所に提出していることが明白であるから、控訴人は不在者丹治の財産管理人としての権限を失つていなかつたものであると認められるから、同人が丹治の不在者財産管理人として被控訴人となした本調停につき控訴代理人の右(一)の無効の主張は採用することはできないところで、不在者の財産管理人は不在者の法定代理人であつて民法第二十八条により同法第百三条に定めた権限を超える行為は家庭裁判所の許可を得た場合においてはこれをなし得る権限があるのであつて、その許可のない場合においては代理権超越の行為であると解するのが相当である。しかして本件調停の内容は不在者丹治の財産の処分行為と解すべきところ控訴人が不在者丹治の財産管理人として右調停をなすにつき、右家庭裁判所の許可の審判を受けなかつたことは当事者間に争のないところであつて、右調停は家事審判官を構成員とする調停委員会において成立したものとするも当然家庭裁判所の許可を含むものと解することはできないから、控訴人は不在者丹治の財産管理人としてその代理権超越の行為をなしたものといわなければならない。しかしながら右調停成立以降丹治死亡の届出が受理せられ、その死亡の事実並びにその死亡の日時が確認せられ、右調停成立当時控訴人は重春を経て順次相続により自ら丹治の地位を承継していたものであり、且つ控訴人は右調停成立当時丹治死亡の事実を予見しながら自ら不在者丹治の財産管理人として右調停をなしたものであること、前認定の通りであるから右調停が代理権超越の行為であることを理由としてその代理行為の効果の自己に帰属することを回避することは信義則上許されないものと解するのが相当であつて、控訴人自ら本人として本件調停をなしたと同様その効果の自己に帰属することを回避することはできないものというべきであるから控訴代理人の右(二)の調停無効の主張も理由がない。

してみると右調停が前認定の如き経緯により成立した以上、丹治の家督相続人重春の相続をなした控訴人は右調停の両当事者間の従来の権利関係の如何に拘らず、右調停条項に反する権利関係を主張することは許されないから右調停条項に基き、被控訴人は原判決末尾添付第一物件目録記載の不動産並びに動産を控訴人は丹治の家督相続人重春の相続人として原判決末尾添付第二物件目録記載の不動産並びに動産の所有権をそれぞれ取得したものと認める。しかして別紙第一物件目録記載の動産は原判決末尾添付第一物件目録記載の動産の内紙張障子八本世帯道具一切並びに柿木を除いたその余のものと同一のものであつて、被控訴人方に在るものであり別紙第二物件目録記載第一の(一)の不動産四筆は原判決末尾添付第一物件目録記載の不動産中すでに被控訴人に所有権移転登記のなされている土地五筆を除いた土地四筆につき耕地整理等のためその地番地積が変更せられたので訂正したものであり、別紙第二物件目録記載第一の(二)の不動産四筆は原判決末尾添付第二物件目録記載の不動産中土地二筆を除いた四筆の土地家屋につき耕地整理等のため、その地番地積が変更せられたので訂正したものであり、別紙第二物件目録記載第二の動産は原判決末尾添付第二物件目録記載の動産の内柿の木を除いたその余のものと同一のものであつて、控訴人方に在るものであることは当事者間に争のないところであるから別紙第一物件目録記載の動産並びに別紙第二物件目録記載第一の(一)の不動産は被控訴人の所有に別紙第二物件目録記載第一の(二)の不動産並びに第二の動産は控訴人の所有に属するものといわなければならない。

してみると控訴人の本訴請求中被控訴人に対する右調停の無効確認の請求並びに別紙第一物件目録記載の動産並びに別紙第二物件目録記載第一の(一)の不動産が控訴人の所有なることの確認の請求部分及び右動産並びに不動産の返還の請求は失当である。しかして右調停成立により別紙第二物件目録記載第一の(二)の不動産並びに第二の動産が控訴人の所有に属することは被控訴人においてこれを認めて争わないところであつて、これが所有権確認を求める利益がないから控訴人の被控訴人に対する右不動産並びに動産が控訴人の所有なることの確認の請求部分も失当である。

よつて控訴人の本件調停の無効確認並びに右動産並びに不動産の返還請求を棄却した原判決は結局正当であるから本件控訴を棄却し、当審における請求の変更による控訴人の右不動産並びに動産の所有権確認の請求は失当としてこれを棄却すべく、控訴費用につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 三吉信隆 藤田弥太郎 小野田常太郎)

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